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東京高等裁判所 昭和57年(う)251号 判決 1982年9月27日

裁判所書記官

松尾憲治

本籍

長野県更埴市大字稲荷山八八八番地

住居

東京都足立区鹿浜三丁目九番五号

医師

宮坂保男

大正一一年四月一六日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五六年一二月一五日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、弁護人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官宮本喜光出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人高橋秀忠名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官宮本喜光名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一のうちの法令適用の誤りの主張について

所論は、要するに、青色申告の承認を受けた者の所得額に、いわゆる青色申告の取消益をも含めて計算することは、確定申告当時、処罰の対象になっていなかった取消益について、後日、所轄税務署長の裁量により、青色申告の承認が所得の隠ぺい等を理由に当該年までさかのぼって取り消された結果生じた取消益を処罰の対象とすることとなり、これは刑罰法規の遡及禁止を定めた憲法三九条に違反し違法であるから、右取消益を所得額に算入することはできないものというべきであり、また、被告人が本件各所得税の確定申告をした際、青色申告の特典を受け得るものと確信し、青色申告の取消益について、本件逋脱罪が成立するものとは認識しておらず、逋脱行為と青色申告承認の取消しとの間には因果関係が存しないから、青色申告取消益相当部分については逋脱罪が成立しないにもかかわらず、これを全て肯認した原判決は憲法三九条及び所得税法二三八条一項の解釈、適用を誤った違法があり、その違法が判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

しかしながら、青色申告の承認を受けた者が、所得税を免れる目的で、所得を隠ぺいするなどして、所得を過少に申告する逋脱行為は、青色申告承認制度とは根本的に相容れないものであるから、当該年の所得税額について逋脱行為をする以上、確定申告をするに当り、青色申告承認の特典を享受する余地はなく、しかも逋脱行為の結果として後に青色申告の承認を取り消されるであろうことは行為時において当然認識できることであり、したがって、青色申告の承認を受けた者が所得税を免れるために逋脱行為をし、その後当該年にさかのぼってその承認が取り消された場合における当該年の逋脱税額は、青色申告の承認がないものとして計算した所得税額から申告にかかる所得税額を控除した額と解すべきである(最高裁判所昭和四九年九月二〇日判決、刑集第二八巻第六号二九一頁参照)。してみれば、右と同様の見解に立って、被告人の当該年における所得額を計算するに当り、当該年の青色申告承認の取消益をも右所得額に含めて計算した原判決は正当であって、原判決には所論のような違法はないから、論旨は理由がない。

控訴趣意第一の三の2及び第二の事実誤認の主張について

所論は、要するに、被告人の妻宮坂喜和子は、資格を有する産婦人科医であって、宮坂病院の産婦人科を担当し、被告人と共同で同病院の経営に当っているのであるから、その収入のすべてが被告人の所得になるものではなく、少なくとも同病院の産婦人科の収入は妻の所得となるべきものであり、仮にしからずとも、青色事業専従者給与相当額は、妻の給料報酬として、被告人の所得金額を計算するに当り、必要経費に算入すべきものであるのに、これを認めなかった原判決には事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

そこで、検討するに、関係各証拠によると、次の事実が認められ、これに反する宮坂喜和子の検察官に対する供述調書及び当審における被告人の供述は、他の関係各証拠に照らし、にわかに措信することができない。すなわち、

一  産婦人科医である宮坂喜和子は、昭和四〇年二月一六日、被告人と婚姻の届出をした夫婦であって、そのころ現住地に土地を購入し、そこに産婦人科宮坂医院を開業して、その経営に当っていたが、昭和四五年一月以降、宮坂病院の産婦人科を担当するようになった。

二  被告人は、昭和四四年ころ、右医院に隣接して患者五〇人を収容することのできる鉄筋三階建ての病院を建築し、翌四五年一月から同所において、外科、内科、皮膚科及び産婦人科を診療科目とする宮坂病院を開業し、自ら外科、皮膚科を担当しているが、その建築資金、運転資金及び機械設備資金等に要した約五、五〇〇万円を医療金融公庫から被告人の個人名義で借用した借入金で賄い、これを同病院の収益で順次返済しており、さらに、その後、同病院の運転資金として、三井銀行西新井支店から六回に亘り合計四、四七〇万円を、自宅兼従業員宿舎の建築資金として、東京都衛生局医務部から三、〇四二万円をそれぞれ借り入れた。そのうち妻名義で借り入れたのは七〇〇万円(西新井支店分)のみで、他はすべて被告人の個人名義で借り入れたものである。

三  被告人は、昭和五二年分については昭和五三年三月一三日に、昭和五三年分については昭和五四年三月八日に、昭和五四年分については昭和五五年三月一一日にそれぞれ西新井税務署に所得税の確定申告書(青色)を提出したが、昭和五二年分と昭和五四年分の確定申告書には、妻が事業専従者である旨記載されており、さらに、昭和五六年二月二四日、同税務署に提出した昭和五二年分及び昭和五四年分の修正申告書にも、妻が事業専従者であることを前提として計算した事業所得金額が記載されている。

四  宮坂喜和子は、被告人と生計を一にする配偶者であるが、昭和四五年一月宮坂病院が開業されて以降、同病院の収益について、被告人と妻の取得分を特に区別せず、両名の生活費はもとより、その他の費用についても、各自がその都度必要な分だけ右収益から自由に取り出して使用していたばかりでなく、診療収入の除外、人件費の架空計上等は、すべて被告人が妻とは何の相談もせず、単独で事務長らに命じて行っていたものであって、この点につき、妻喜和子は何ら関与していない。

以上認定したとおり、被告人の妻喜和子は、産婦人科医として宮坂病院の産婦人科を担当しているものの、被告人と生計を一にする配偶者であり、同病院の経営には何ら関与していないから、同病院は、専ら被告人の収支計算に基づいて経営されていると認められるのであって、被告人とその妻との共同経営によるものとは認められない。また、所得税法五六条によれば、居住者と生計を一にする配偶者が居住者の営む事業所得を生ずべき事業に従事したことその他の事由により当該事業から対価の支払いを受けた場合には、その対価に相当する金額は、その居住者の当該事業に係る事業所得の金額の計算上、必要経費に算入しないものとされているのであるから、妻喜和子が被告人から受けた対価は、その名称の如何を問わず、これを被告人の事業所得額を計算するに当り、その必要経費に算入できないものといわなければならない。してみると、被告人の本件各事業所得額を計算するに当り、被告人が妻に支給した青色事業専従者給与相当部分につき、これを必要経費に算入しなかった原判決は正当であって、原判決には所論のような事実の誤認はないから、論旨は理由がない。

控訴趣意第三(量刑不当の主張)について

所論は、要するに、原判決の量刑が重過ぎて不当であるというのである。

そこで、検討するに、本件は、宮坂病院を開業した当時から診療収入の一部を除外していた被告人が、その後、収入の増加に伴い税負担も増大して来たので、その軽減を図る一方、借入金の返済資金や株式の売買代金を得ようと脱税を計画し、同病院の事務長らに命じて、診療収入、文書料、室料差額の計上除外、人件費、薬品代の架空計上、さらには本件事業と何ら関係のない個人的経費までも計上するなどの方法により、三年分に亘る実際所得額が一億七、八九四万七、四一八円もあったのに、三、四一七万七八〇円しかなかった旨虚偽の申告をして、合計一億四、四七七万六、六三八円の所得を逋脱し、その結果、合計八、六二二万四、四〇〇円の所得税を免れた事案であって、その逋脱率が全体として九〇パーセントを超えているうえ、その動機には特に考慮すべきものが認められず、その犯行態様も悪質であること、最近医師の脱税が大きな社会問題になっていることなどに徴すると、被告人の罪責は重いといわなければならない。したがって、本件発覚後、被告人は、深く反省して、脱税分につき修正申告をし、その未納税金を分割納付していること、本件逋脱額中に事務長の費消した七〇五万円(そのうち三〇〇万円についてはすでに返済されている。)も含まれていること、被告人には前科前歴が全くないことは勿論、これまで保健衛生協力員などとして、医療面で地域社会のため貢献して来たこと、昭和五六年分から再び青色申告の承認を受けられるほど経理面の改善がなされたこと、その他所論指摘の被告人に有利な情状を十分斟酌しても、被告人を懲役一年二月(三年間執行猶予付)及び罰金二、六〇〇万円に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

よって刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 杉山英巳 裁判官 新田誠志)

控訴趣意書

被告人 宮坂保男

右の者に対する所得税法違反被告事件につき、昭和五六年十二月一五日東京地方裁判所が言渡した判決に対し、同年十二月二八日控訴の申立をしたが、その趣意は左記のとおりである。

昭和五七年三月一六日

右被告人弁護人

弁護士 高橋秀忠

東京高等裁判所第一刑事部 御中

第一 法令適用の誤

一、原判決の判断

原判決は、青色申告承認の取消益が、ほ脱税額を構成しないとする弁護人の主張に対し、「しかしながら、弁護人が指摘する右理由は、いずれも従来の消極説により主張されているものであるところ、右最高裁判例は、こうした消極説をも踏まえたうえで判断がなされているものであって、その判示するところは当裁判所も相当であると考える。そして関係証拠によれば、被告人は正しい記帳をしないと青色申告が認められないことを知りながら所得税を免れる目的で………(省略)…専従者給与等を必要経費として算入処理していたことが認められ、これによれば被告人はほ脱行為の結果として青色申告の承認が取り消されるのであろうことは当然認識できたのであるから、青色申告承認の取消益をほ脱所得額に含ませた本件処理は正当である。」と判示している。

二、東京高等裁判所昭和四九年三月八日判決(判例時報七四五号)の判示。

東京高等裁判所の右判決は青色申告承認の取消益に関し、次のように判示していた。

「しかし、確定申告にかかる所得税および法人税ほ脱の罪は、偽りその他不正の行為により納付すべき税額を申告納付しないで、納付の期限を経過したときに成立するものであることは明らかである。したがって、その犯罪の成否および犯罪の量(ほ脱税額)はその時点における納付すべき正当な税額と確定申告にかかる税額との差額によってきまるものといわなければならない。その差額が零であれば、ほ脱犯は成立しない。前者(正当税額)が後者(申告税額)よりも多額であるときは、ほ脱犯が成立する。その犯罪の量は、その差額である。犯罪の不成立または成立およびその犯罪の量はこの時点で確定する。したがって後になって、犯罪でなかった行為が犯罪となったり、あるいはすでに成立した犯罪の量が増減したりするというようなことはありえないのである。それ故青色申告の承認を取消すという行政処分の遡及的効力も過去に遡ってほ脱犯を成立せしめ、または、既に成立した過去のほ脱犯の犯罪の分量を増大せしめることはできないのである。

青色申告の承認を受けた者が確定申告をする際、価格変動準備金などを必要経費あるいは損金に算入することは法令上認められた行為である。したがって確定申告後右承認が取消された結果、価格変動準備金などの必要経費あるいは損金算入が否認され、これに応じて所得額が増加し、したがって税額もまた増加したとしても、そのことは前段説示のように、所得税や法人税のほ脱という犯罪の成否またはその分量を過去に遡って左右すべきものではなく、それは徴税上行政法上の問題にすぎないのである。それのみでなく、その増加した部分は、(青色申告者が偽りその他不正の行為によって税を免かれようとした場合には、その承認の取消を待つまでもなく、当然青色申告承認の効力は消滅し、税務署長の取消は単なる確認行為に過ぎないとでも解するのは別として。当裁判所はこれを否定する。)確定申告当時においては存在しなかったのであるからほ脱のしようがないのである。そういうわけで、前記の価格変動準備金などに関してはほ脱犯は成立しないというべきである。」

三、弁護人の原判決に対する反論

1. 当弁護人は青色申告承認の取消益ほほ脱罪に算入されないものと思料し、これに反する最高裁昭和四九年九月二〇日判決(この判決に対する批判としてはジュリスト昭和四九年度重要判例一四六ページ)は本来変更されるべきものであり、かつ、原判決のこの点に関する判示は法令解釈を誤ったものである。以下原審における弁論要旨に沿って理由を述べる。

(一) 青色申告制度の趣旨

(1) 青色申告制度は昭和二五年シャウプ勧告に基づいて創設されたが、その動機は当時申告納税者側に正確な帳簿がなく、多数の納税者に対し、一度に更正、決定を行なうため、税務署側の調査は推計に基づいて課税され、これに対し、多数の審査請求が提出されるという悪循環が税務行政を極端な困難と混乱に導いていたためであって、正確な帳簿の記帳を奨励することによって、このような困難と混乱を解消させ、反面青色申告者に対しては白色申告者には容易に認められない経費として、各種の所得控除を特典として認めたものである。(最高裁判例解説刑事篇昭和四九年度二九四ページ以下抜すい)

(2) ここで注意しなければならないのは、青色申告制度の趣旨はその主眼が、税金徴収側の課税対象額の把握のための調査が、効率的に行なわれるようにするためである点である。決して、国民の納める税金が青色の場合に限って大幅にサービスするというものではなかった点である。本来、国民はその正しい所得に従って納税する義務を負うのであって、正確な帳簿を作成するかしないかによってその納税額が異なるという性質のものではない。事業の経営について、真剣に取組んでいれば事業方針の決定などの資料のためから、正確な帳簿は作成されるべきものである。

(3) 青色申告と引き換えに青色申告者に対して与えられた特典といわれるものは、厳密にいえば特典とはいえないものである。例えば、本件で問題となっている貸倒引当金などの評価性引当金などは、企業会計原則上も、損金として本来認められるものである。また、青色専従者給与にしても、事業に従事しているものに対して支払われる給与等(名目は問わない)は、例え他人であろうと、また生計を一にしている親族であろうと、企業会計上は、また新憲法における家族制度崩壊の下における個人尊重の下にあっては本来経費として認められるべきものを、生計を一にする親族間の収支の不明確さから、課税上は、その間の金銭のやりとりがないものとして、白色の場合は認めないというものにすぎない。また、青色申告控除にしても(わずか一〇万円であるが)、これは実質的には正確な帳簿作成料ともいうべきものであるが、多くは青色専従者ないし、事業者本人が記帳する労力の手間賃としてであって、白色申告の場合より必ずしも特典というべきものではない。

以上青色特典といわれるものは実質は白色の場合の税務署の推計課税上、経費として認めないため課税後納税者から審査請求等で争われる可能性の強いものを、税務署側ではあえて争わないで経費として認めるというものばかりであって、特典とは到底言い難いものばかりである。

(4) さらに、青色申告の場合と白色申告の場合で、同じ損金を含んだ粗利益であっても実際の納税額が青色の場合に常に少なくて有利であるとはいえない。白色申告の場合は、総収入(粗利益)から、それに対する一定率(経費率)の損金を控除(この場合実際の損金額を考慮せず)して課税対象額を決定するのが推計課税として行なわれているのが実情である。従ってその一定率(業種によって異なる)以下に経費節減し、かつ、推計課税されれば少なくともその一定率と実際の経費分との差額は課税対象とされない所得となる。また、青色申告していても、白色推計課税の場合の経費率以下に実際の経費を押えればその差額分だけ白色の場合よりも課税対象額が多くなって不利な場合もあり得るのである。特に青色申告者であっても業種の特性からして貸倒引当金、価格変動準備金など青色特典をあまり利用できない場合においては、青色を選ぶか白色を選ぶかは、税対策上微妙なこととなる。つまり、必ずしも青色申告者が課税上有利であるのではないのである。

(5) 以上、述べた如く青色申告制度の趣旨の主眼は税務署側の便宜であって、国民に対する青色特典の付与は二次的であり、しかも、国民に大いなる利益を与えている恩恵的な制度とは言い難いものである。であるからこそ、後述するとおり青色申告承認の取消は税務署の裁量に任せられており、不正申告を行なった青色申告者全部が必ず青色申告承認の取消処分を受けるとは限らない。もしそれを必ず取消すものとすると、青色申告者の数が大幅に減じ、課税処分上の紛争が激増するからである。

(二) 刑罰法規の遡及禁止にふれる。

憲法三九条は刑罰法規の遡及禁止が規定されている。本件においては青色申告者が、申告行為(ないし納税行為)時には、青色専従者給与等の青色特典を損金算入をなしたうえで、事業所得を算出することは適法であった筈である。それが後になって、青色申告承認の取消処分によってその効果が不正行為のあった時点まで遡り、白色並みになることになるため(所得税法一五〇条)、その遡った時点での所得計算は青色特典を除いて計算することとなる関係から所得税法一二〇条に規定する所得税では不足となりその不足分がほ脱税となるものである(所得税法二三八条)。

これは結果的には税務署長の行政処分(青色取消)が、必然的に実行行為(申告ないし納税)時には適法であったものを後になって、遡って、有罪とすることとなる。この場合、税務署長の行政処分が、あたかも法令と同じような働きをもっているというべきである。しかも、その行政処分たるや税務署長の裁量によるものであって、処分を発動するか否かは、あたかも国会で立法するかどうか又は内閣ないし各省大臣が規則、命令を定立するかどうかと同じ関係である。不正申告等の取消事由があったら必然的に取消処分がなされるようにはなっていない点において新たな刑罰法規―行政処分という形で―を遡って適用されることとなるのである。さらに、その適用方法が所得税法一五〇条(青色の取消しの遡及効)、一二〇条(所得税の決定)、を経由して行なわれる点において、間接的に計算した結果、ほ脱罪とされてしまうのである。もし、この取消益に対しても処罰するとすれば、新たに例えば青色申告に係る犯罪として別に規定すれば足りるものである。以上からすれば、原判決のごとく青色取消益に対しても刑罰を以って、遡って適用するのは(納税義務額は重加算税を加えてそれを含むとしても)憲法に違反すると言わざるを得ない。

(三) ほ脱の故意がない。

青色申告者としては、申告ないし納付時には青色特典が受けられるものと確信して申告するものであることは疑いない。本件被告人においても、青色取消の効果を知らなかったことは疑いない。前掲最高裁の判例はこの点に関して「ある事業年度の税額についてほ脱行為をする以上当該事業年度の確定申告にあたり、右承認を受けたものとしての税法上の特典を享受する余地はない」とし、かつ、「しかも、ほ脱行為の結果として後に青色申告の承認を取り消されるであろうことは行為時において当然認識できることなのである。」として、予見可能性ありとするかのようである。しかしながら、青色申告承認の取消は税務署長の裁量行為であり、不正行為等の取消事由があっても必らずしもすべて取消されるとは限らないことを考え合わせると、取消されないかも知れないという予見も当然存在し、(脱税していてもこの取消されない場合には、青色特典はそのまま認められることは争いない)予見可能性としては取消されるか取消されないかどちらとも言えない状態であり、ましてこのような予見可能性は実際には青色申告者としてはそこまで予見していないのが実情である。少なくとも申告ないし納付時に青色特典が受けられるとはっきり確信しているのに対し、また青色特典といわれるものの多くは、企業会計上も損金算入されてしかるべきものが含まれていることを考え合わせると、ほ脱の故意を擬制するならともかく、そうでなければ故意を認めるべきではない。

(四) 因果関係がない。

ほ脱行為等の取消事由行為と、青色申告承認の取消との間には因果関係がない。即ち、前述のとおり取消処分行為は裁量行為であり、いわば新たなる第三者の行為であって、因果関係は中断するものであり、また、相当因果関係もないものといわざるを得ない。以上述べたとおり、青色申告の取消による取消益関係によるほ脱部分は犯罪を構成しないといわざるを得ない。この犯罪を構成すべきでない原判決中の所得額は次のとおりである。(明細は第一審の弁論要旨と同じ)

昭和五二年分 金一三、〇七二、〇〇〇円

昭和五三年分 金四、七二五、九六八円

昭和五四年分 金八、五八一、〇三二円

三年間の累計 金二六、三七九、〇〇〇円

右差引かれる部分の所得を考慮すると三年間の税額としては(概算約六五パーセントの割合)約一、七〇〇万円分はほ脱額から差引かれるべきものと思料する。これは原判決有罪と認定した三年間のほ脱税額約八、六〇〇万円のうちの約二割に該当するものである。

2. 青色専従者給与部分はそれが取消された結果、本件においては共同経営者たるべき妻の収入であり、被告人の収入から差引かれるべきものであり、その部分は脱税とはなり得ない。

仮りに青色申告の取消益が脱税問題を生じるとしても、本件における特殊性のため青色専従者給与分は脱税とはならない。本件においては被告人の妻は資格ある医師であり、被告人の事業もまた医療である。このことは通常の営業の如く夫の事業を妻が手伝っているというものとは性質が異なる。本件では本質的には被告人と妻との共同経営であり、本来は総収入を両名にて分割し得べきものである。それを形式上は被告人の単独事業として妻はそれの青色専従者給与として総収入から分割を受けていたにすぎない。被告人に対して青色が取消されたとしても直ちに脱税とはならない。青色専従者給与とするか、共同経営者とするかは形式上の差にすぎず、青色申告が取消されるのであればその青色専従者給与分は当然に共同経営者の収入と法解釈上扱うべきものと思料する。この点についても原判決は法令解釈を誤ったものである。

第二 事実誤認

一、原判決の判断

原判決は、被告人の実際総所得金額を昭和五二年分七、〇二三万五、五二二円、同五三年分五、四二六万九、九八〇円、同五四年分五四四万一、九一六円あったと認定している。

二、弁護人の反論

(一) しかし、右所得金額は被告人とその妻の両名の所得の合算であるのであって、被告人だけの所得分ではない。

(二) 被告人の妻宮坂喜和子は昭和三二年東邦大学医学部を卒業し、産婦人科医として病院に勤務した後、昭和四〇年被告人と結婚し、宮坂病院にては産婦人科を担当していた。被告人は外科、内科、皮膚科を担当していた。従って、原判決が被告人の所得として認定したもののうち少なくとも産婦人科患者からの所得分は被告人の妻の所得となるべきものであるのでこの点原判決には事実誤認が存する。

(三) 仮に右主張が認められないとしても少なくとも青色専従者給与とされた三年間の合計額金二六、五九三、〇〇〇円也については、青色申告が取消された結果青色専従者給与と認められないとしても、通常の給料報酬として損金として認められるべきものである。被告人の妻のように国家試験により資格を取得した者については、たとえ生計を一にする親族が経営する事業のもとで働いたとしても、他人が働いた場合と同じく給料報酬として扱われるべきものである。従ってこれを全く損金として認めないで計算した所得をもって被告人の所得とした原判決には重大な事実の誤認が存する。

第三 量刑不当

原判決は懲役一年二月、執行猶予三年、罰金二、六〇〇万円の刑を言渡しているが本件事案に照らし重すぎ、量刑不当である。以下その理由を述べる。

一、新聞報道と他の脱税医師に科された刑との比較

昭和五六年七月一四日付読売新聞によれば「七医師“脱税のカルテ”」との大見出しのもとに脱税医師に対するマスコミの追究が本格的に始まり(端緒は同年四月十一日付読売新聞(夕刑)にすでに報道された)その後次々と判決が出るたびにその追跡記事を載せるようになった。東京地裁二〇部ではそれら新聞報道に迎合するごとく検察官の求刑を上回る懲役刑の判決が出た。七人のうち最も早く判決が出たと考えられる飯沼医師の場合新聞報道によれば検察官の求刑が懲役十月であったのに対し、判決は懲役一年であった。

その後検察官も求刑を引上げるようになったため、その後は求刑を上回る判決は出ていない。しかし、新聞報道による社会的非難が大きいとしても、報道されること自体によって被告人は社会的制裁を受けているのであって、そのうえさらに求刑を上回る判決ないしは検察官の求刑引上げは被告人らにとって酷である。本件被告人は懲役刑について右のようにして引上げられた求刑どおりの判決(執行猶予付)を受けたものである。

さらに罰金額について言及すれば前述の飯沼医師の場合脱税額が八、〇七二万円に対し罰金額は二、三〇〇万円であったのに対し、本件被告人の場合は脱税額とされたものが八、六二二万円であるのに対し、原審の罰金額は二、六〇〇万円であり、しかも後述のとおり脱税額とされた八、六二二万円の内容についても、かなりの部分脱税とは言い難いものも含んでいることを考え合わせると本件被告人は飯沼医師の場合よりも懲役刑はもとより罰金額についても不平等なる不利を受けているものである。

二、実質上のほ脱額

被告人の三年間のほ脱額は税額として約八、六〇〇万円であるが、実質上不正行為によって被告人がほ脱した税額はこれと異なるものである。

(1) 先ず第一に前述のとおり、青色申告承認の取消しによって、ほ脱とされた税額は約一、七〇〇万円である。これはほ脱の認識が全くない。

(2) 次に証人柴崎の証言によれば架空給与として計上したもののうち伊藤静子名義分については、事務長の柴崎が横領流用し、被告人の手に入っていないことは明らかである。右柴崎の証言によると給与台帳上差引実際支給額(E欄)について横領したものである。また賞与分は横領していないということである。右柴崎は本件落着後に右横領部分の弁済を考慮していることを考え合わせると、万が一雑損控除とはならないとしても、情状として被告人のほ脱額としては考慮していただきたい。その分だけ被告人は実質上ほ脱による利益を得ていないからである。むしろこの部分に関してはほ脱自体柴崎の単独犯といえるべきものである。右伊藤分の差引実際支給額分は次のとおり、

昭和五二年分 金一、四七五、〇三〇円

昭和五三年分 金二、四五二、八四〇円

昭和五四年分 金二、五五八、二七〇円

合計 金六、四八六、一四〇円

しかしながら、右金額は柴崎が横領した額であって、本件被告人の情状としては、伊藤名義分の給与台帳上支給金額(C欄)をもって考慮しなければならない。何故ならば、支給金額(C欄)と差引実際支給額(E欄)との差額たる社会保険料税金などは、柴崎が右伊藤名義分を使用せねばこの分のほ脱額の基礎となる所得に変動があり得なかったものであるからである。従って、右C欄の合計は賞与分を含めないとしても次のとおりである。

昭和五二年分 金一、五六五、〇〇〇円

昭和五三年分 金二、六五二、〇〇〇円

昭和五四年分 金二、八三九、五〇〇円

合計 金七、〇五六、五〇〇円

さらに賞与分も、伊藤名義を使用せねばその部分の架空人件費は生じ得なかったものである。この賞与分が三年間で約一二〇万円である。以上柴崎が伊藤静子名義を利用したことによって、被告人のほ脱税に関連する所得額部分は約八三〇万円、税額(六五パーセント)として約五四〇万円である。

(3) 第三に被告人の株式投資損が存する。即ち、昭和五二年から昭和五四年までの間約一、〇〇〇万円株式投資損を出した旨被告人は述べている。この部分は所得税計算において、損失の繰越がきかないという意味で関係がないとは言え納税額としては、本来所得に応じて決まるものであれば総合的に見て医院事業においてプラスであっても株式投資においてマイナスであればそれを差引いた残額が所得として課税されて然るべきものである。三年間のこの株式譲渡損一、〇〇〇万円に対する税額から差引かれるべき税額(六五パーセント)は約六五〇万円である。

(4) 村瀬セツ子分

架空人件費とされた村瀬セツ子は実在し、被告人の妻の妹であり薬剤師の資格を有している。診療所と異なって、病院は従事薬剤師の届出を必要とし、関係官庁に対し名簿上提出した。薬剤師の病院に於ける職責は、官庁の検査時に備えたり、ごく稀れな調剤を行なう場合に指導することであった。多くの調剤は医師たる被告人及びその妻(医師)が行なっていた。村瀬は、被告人方病院に夜間などに訪れ、官庁の検査時などに実際に職責を果していた。この村瀬に対して、給与はその都度支払われていなかったが、村瀬は「預ってくれ」被告人は「何かのときには金を出す」等の問答があり、必らずしも全く無償ではなかった。また、薬剤師としての資格のある村瀬はいわば被告人経営の病院の薬剤顧問的程度のことは果している。右村瀬に係る架空人件費とされた額は次のとおり、

昭和五二年分 金一〇〇万円

昭和五三年分 金一、〇六四、〇〇〇円

昭和五四年分 金一、四二一、〇〇〇円

合計 金三、四八五、〇〇〇円

右所得に対して、被告人の支払わないですむべき税額(六五パーセント)は約金二三〇万円である。

(5) 以上からすれば、原審判決においてほ脱税額とされた約金八、六〇〇万円のうち(1)(2)(3)(4)の差引かれるべき税額は合計約金三、一二〇万円であり、ほ脱税とされた額との差額は約金五、五〇〇万円となり、これが実質ほ脱税額というべきものである。

一般に脱税の場合、脱税額の約三割が罰金額となることを考えると、本件原審罰金刑は重きに失する。

三、動機面

被告人は父を二〇才のときに亡くし、七人弟妹(五人は女)の長男であった関係上弟妹の面倒を見て、それぞれ学校を出し、嫁入りに努力を払った。その結果、自身の開院、結婚は遅れ、子供がいないので莫大な開院費用の借金は自分一代で返済しなければならないこととなった(子供が医院を継げば借金残は子供が支払を果たす)。このため、借金の返済に意を注ぐこととなる。株式投資も世の常であって、投機色が強く借金返済には結果的に役立たなかった。加えて、被告人は将来を見通す医師として、老人向け医療(温泉リハビリ等)に理念を求めて、盛岡、信州戸倉等に土地を買い求めていた(それらの不動産は価額的には必らずしも高価なものではないが)。この借金返済の一環として、本件脱税を実行せざるを得なかったものである。これは決して言い訳けにはならない。本来は国家がこれら医師に対して助成して然るべきものと思われるが、それにしても多くの社会の患者を助ける使命を実践している医師がこのような財政的理由から脱税に走るに至った事情は、多く考慮していただきたい。

四、実行行為面

被告人の本件所得税法違反事件に対する干与の程度は大まかであった。事務長柴崎に対する指示は「シャバ並みに……」という程度であった。救急病院の医師として、税金申告上の細かい脱税行為を自ら行為することは実際上不可能であった。従って、事務長ないし税理士が細かい不正計算を行なったとみる外ない。架空人件費の捻出については、架空名等すべて事務長がその判断で適当に行なったものである。被告人がその責任者として処罰されるのは已むを得ないとしても、事務長も院長の部下として、法律遵守の進言をすべきであったし、柴崎の横領が被告人の姿勢の間げきをついたものと一概に言えないものがある。それほど柴崎の本件脱税に関する干与の程度は大きいものがある。被告人としては「シャバ並みに……」という指示にしても積極的に本格的脱税を指示したものではなく、一般の医師が行なっているような税務当局から注意を受ける程度の節税に少しオブラードした程度の指示のつもりであったが、結果的には事務長柴崎ないし池の内会計士の行為によって本格的脱税の結果となったものである。

五、税理申告面

本件において収入面の隠ぺいは、つぎのような経過によって生じたものである。即ち、自費診療分と保険診療分ではその所得に対する経費の認容率が白色の場合と異なっていたので、青色になってからもこれを区別して記帳していたものである。このうち自費診療分については前任者森藤税理士はこれをある程度算入して申告していたが、後任者池の内会計士は自費診療分の所得計上を指示しないため、事務長もこれをそっくり報告しなかったものである。然して税務当局は外科において自費診療分のないことを不審に思って摘発されたものである。これは被告人の指示の「シャバ並みに……」以上の脱税が結果的に行なわれてしまったことを意味する。税理士の適切な助言あれば少なくともこのような結果にはならなかったものと思料する。

六、被告人の医療面に於ける貢献

被告人はこれまで保健衛生協力員、交通安全協力会、保険請求整備委員会、医師会の中では理事、社会整備委、公衆衛生委、調査広報委など歴任し、将来を嘱望されている。また、救急病院を自ら引受け救急労務に永年従事している。我々国民は、いつなんどき救急医の手当を受けることになる破目にたたないとも限らない。さらに被告人は患者からの信望も厚い。

七、被告人の性格

被告人は、株式投資をする以外は、ごく真面目に本来の業務に専念している。株式投資も電話一本で行なえ、また、頭脳体操的な面も有した。救急病院として、一日も病院を明けることは困難である。稀に出先にいても常に居場所の連絡をとり、救急医として備えている。また、七人弟妹の長男としての責務を果たすためにも、必然的に大まかないわば親分肌的な面も必然的に備えている。この大まかな性格が本件脱税のもととなったことは否定できない。

八、税務申告の改善――再犯の防止――反省

被告人は今回の事件を真剣に受けとめ、原審の第一回公判前に修正申告したうえその追納部分を原審判決後も誠実に納めている。重加算税を含めての納税は、当然のこととはいえ、一般人では想像もつかないほどの負担である。別荘その他いくらかの貯えがあるとはいえ、開院当時の借金返済と税金納付によって、その財産の大部分は失われ、また原審で受けた罰金額を支払おうとしても不況のため不動産の処分も思うにまかせない。また、税金申告に関しても税理士を変えるなどして新たな申告手続体制を建て直しているので再犯はあり得ない。医師という社会的に地位の高い職業を有していながら、本件のような不祥事を起したことに対して充分反省している。

九、最後に蛇足であるかも知れないが、医師の収入に関して一言申し上げたい。医師は従来高額所得者として注目され、医師を目指す若者は多い。しかし、保険制度の完備によって、すべて、その収入面を中央医協の定める基準によって、診療費が決定されることとなっている。ところで、この中央医協の定めによっても、昭和五一年に九パーセント、同五三年九・六パーセント値上げになってから同五六年まで据置かれ物価上昇に追いつけなかった。まして薬価基準が昭和五三年切り下げられ、ますます医師の減収は進んでいる。他方医師の開院費用はうなぎ登りに上り、これの借金を支払うに足るだけの収入が確保され難くなった。このような状況を見ると、医療の荒廃は目に見え、医師は医療行為と同等位に、財政対策に頭を悩ませることとなって来ている。医師は最早や儲るべき事業でもなければ、実際にも儲るものではない。社会一般の医師に対するある意味での偏見は改められるべきであろう。

十、最後に

以上のような被告人に有利な情状を考慮すると原審の量刑は不当である。 以上

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